[INTERVIEW]
世界の視点で日本を見つめてきたパソコン業界の牽引者
古川享
「(株)アスキーに勤務した8 年間のうち6 年間、そしてマイクロソフト(株)を設立してから19 年間、通算25 年間マイクロソフトに関わるビジネスをしてまいりました。1 年間で7 歳の年を取るというドッグイヤー換算で25 × 7 +当時25 歳=200 歳ということになります」。これは、古川氏のブログから抜粋した文章である。古川氏は、BASIC、CP/M、MSX、一太郎、MS-DOS、UNIX、マルチプラン、Windows、WMP など、マイクロソフトのみならず日本のパソコン史のほとんどの重要シーンの渦中にいた人である。マイクロソフト社の重責を解かれた今、同社の強さの秘密、日本におけるIT の課題と対策、理想とする未来など、思いっきり語っていただいた。
聞き手:本誌編集長
text:柏木恵子
Photo:渡徳博
かつてのキーパーソンが外から見たマイクロソフト
――まず、ブログを始めた理由からお聞かせください。
●最初、(マイクロソフトが提供するブログサービスの)MSN スペース開始の時に、誰か書いてくれませんかという話があったんです。この時はまだ会社に籍を置いていたので、時にはマイクロソフトの話をブログに投稿しながらも、決して製品の宣伝や社としての公の見解を語る場ではなく、あくまでも個人として自分自身の生き様や興味を知ってほしいということで始めました。途中で半年くらい断筆状態になってしまったのは、会社に勤め続けるか迷っていたからなんです。悩んでいる状態をそのままブログにアップするわけにもいきませんし、かといって能天気にまったく関係ないことを書いていたら、突然辞任を発表したけどその間いったい何を考えてたのってことになりますよね。それでしばらく断筆状態の後、退職を発表してからまた書き始めたわけです。
私は、昔から自分のホームページを持ちたいと思いながらも、自分でパブリッシュするということに乗り遅れてしまっていました。今さら人に聞くのも恥ずかしいし、他人に丸投げしてホームページの制作をやってもらうというのも自分のスタイルではありません。その点、ブログは最初の一歩を踏み出すのがわりと手軽だったんです。
自由に書けるのもブログのよいところです。自分の興味のある話題をあれだけあちこちに振ってしまうと、そのすべてに興味を持って読んでくれる人はいないでしょう。たとえば放送の機材に興味持っている人とか、鉄道が趣味の人といった本当にコアな人には、ブログ訪問者が個々に持っている興味のスイートスポットに当たったときは満足してもらっていました。反対に、ボリュームが多すぎて辟易している人もいたかもしれません。もし雑誌や書籍で広告を掲載したり購読料をいただく商業メディアであったりしたら、こんなわがままは絶対に許されないですから。
――マイクロソフト社のことですが、1995年にWindows 95 を出す際に、それまでまったくインターネットのプレイヤーではなかったのに、急速にキャッチアップできたのはなぜなのでしょうか。
●1994 年頃のビル・ゲイツは、自由にブラウジングできる環境でコミュニケーションや情報共有の仕方が変わるんだといくら説いても、興味を持ちませんでした。「インターネットなんて何の富も生まないし、ビジネスとして成功するチャンスがないものに、会社として取り組んだりユーザーが時間を使ったりすることに何の価値も見出せない」と、頑なにいわれました。そういいながらも、ある日突然インターネットの重要性に気付くというスタイルは、会社の方針に一貫性がないように見えるかもしれません。けれど、どのようなタイミングでも間違えだと気づいた瞬間に舵を切り直すというのは、昔からのマイクロソフトのスタイルなんですよ。それで、インターネットにコミットした瞬間、時代についていこうとかOS にこの機能を入れようというレベルの話ではなく、全社員がインターネットを使って何ができるかを考えながら仕事をしてほしいと全社方針が発表されたのです。単に開発の人間がインターネットのアクセス機能を入れましたではなくて、経理もマーケティングも全社員が1 人ずつインターネットを使って何ができるのかということを考えて、力を結集していこうといったわけです。そのメッセージはかなり強烈でした。
――あれだけの大規模な会社が、あのスピードで変われたことは、経営的な意味ですごいと思います。ビル・ゲイツの一言で決まる特殊な何かがあったのでしょうか。
●あの頃、ネイサン・ミアボルドという突出した天才児がいたのですが、その影響が大きかったです。彼はスティーブン・ホーキングのゴーストライターをやっていました。ホーキングが宇宙物理学でノーベル賞を受賞して、同じ分野ではもうノーベル賞は出ないだろうと考えて、マイクロソフトに入ってリサーチ部門を創設したという経歴があります。マルチタスクOS としてのWindows NT、True-Type フォント、音声認識、カラーマネジメント、データベース、分散処理などいろいろな研究分野がありますが、そのほとんどは彼が研究の起源となり、研究員となる人材を世界中から探し出してきてマイクロソフトへ招聘していました。彼が会社を去る前後に、インターネットに関してこのまま放置していると、マイクロソフトにとって大変なことになるぞというレポートがビル・ゲイツに上がってきました。それをビル・ゲイツが吟味して、インターネットにコミットすべく舵を切ったというわけです。
――インターネットにおいてGoogle との競争が激しくなってきましたが、今回、マイクロソフトは逆転できると思いますか。
●私が答えるには、悩ましい質問ですね。Google との局所的な戦いという意味ではなく、マイクロソフトが従来と同じように技術的なリーダーシップを堅持してユーザーの方々の支持を取り付けながら、ネットワーク関連やパソコンベンダーなど業界のいろいろな人たちに対して、よりよいビジネスチャンスと将来のビジョンを掲示し続けていけるかという質問だと理解したほうがよいでしょうか?
その質問に答えると、今のマイクロソフトのリーダーシップは完全に失速状態かもしれません。従来は、ソフトウェアの立場からマイクロソフトが貢献し、ハードウェアにおけるリーダーシップを発揮していたインテルとの補完関係にありました。その中でリーダーシップを発揮していたインテルとの関係でさえも、変質を始めているように思えます。インテルはMacのプラットフォームにおいてもCPU(IntelCore)の採用を達成しました。2006 年1月のCES で行われたViiv 発表の時も、Windows のみに依存しているわけではないということが見え隠れしていました。近い将来、IP ネットワークは通信・コミュニケーションの道具だけでなく、放送を中継するパイプになるということが見え始めた重要な時に、マイクロソフトがどういう提案をしてリーダーシップを発揮していくかという重責を、マイクロソフトはインテルに明け渡したともいえるでしょう。
――以前はキャッチできたのに今回は難しいというのは、何が要因でしょうか。
●マイクロソフトは、技術の動向を捕捉しきれていないということでしょう。世界にどういう技術が既に存在しているのかを勉強したり、それらを自分で使ってみるといったことをしていれば、何か学ぶことがあるはずです。インダストリーの中で望まれていることに対して、マイクロソフトが何を学び、何を採択し、自らを創造し、それを社会に提案していくという感度が鈍ってきているのではないでしょうか。
iPod とiTunes 成功の本質は新しい社会インフラであること
――古川さんは、アップルのiTunes Music Store をかなり高く評価されているようですが、どのあたりがポイントでしょうか。
●アップルは、デザインが秀逸だという人が多いのですが、私は少し違う見方をしています。形がかっこいいとか機能がすばらしいというのはごく一部分のことで、iPod が成功した理由は、音楽を聴く文化という本質的なところまで掘り下げて検討を尽くし、流れを作ってきた点にあります。iTMS の成功も、何百万曲用意されているとか、1 曲150 円(99ドル)程度でダウンロードできるとか、楽曲数や価格が着目されがちですが、実はまったく違うところに成功要因があると見ています。彼らの課金や認証のメカニズムは、全世界をカバーしていて、いつの間にかマスターカードの次に大きいといえるほどの決済システムになっています。そのうえでさらに、マスターカードやVISA ですらやれなかったことも成し遂げました。それは、支払いをする人と使う人を分離できるということです。プリペイドのシステムやクレジットカードを使った決済システムを、本人が購入するためだけではなく、購入したコンテンツを他の誰かにプレゼントしたり、誰かのために定期的なコンテンツ課金(アローアンス)をセットアップしたりできます。お父さんから子どもに毎月1日に5000 円振り込み、子供はその予算枠の中から音楽を買う。月末になって150 円しか残っていないときに、1日まで待つか、おばあちゃんから2500 円のプリペイドカードをもらって買うかを選べます。また、自分の気に入った曲を2 曲買って、1 曲はメールでプレゼントすると、相手に権利ごとちゃんと渡っていきます。購入する本人と、支払い義務を負う人を分離しただけで、新しい社会インフラが形成されつつあるといえます。
日本人に不足しているのはプロデュース能力
――日本の独立系ソフトハウスが、壊滅的に弱くなってしまったように感じます。何が原因だと思いますか。
●理由はいくつかあると思いますが、1つは日本の教育システムではないでしょうか。人と違うことをやらずに、枠の中で同じことをお行儀よくやるという教育を受けるために、自分が突出したいであろう何かに注力するエネルギーが削がれてしまう。だから、日本人は何かを自己主張して相手を口説くということが下手だといわれます。
もう1 つは、突出したことをやる人はいても、そういう人は相手のことを認めずに自分の主張を通すばかりで、何か軌道修正をしたり人から学んだりするという姿勢が足りない。単発で本当にいいアイデアがあっても、商品として世の中に送り出すには、マニュアルやパッケージも必要です。ある部分が突出してすごい技術だったとして、その周りにあるものも含めて全体のバランスが整っていないと、商品として成功するのは難しくなります。
あとはプロデュース能力の欠如でしょう。米国ではプログラムマネージャーという立場の人間がいて、突出したエンジニアたちをなだめすかしながら、納入する期限やサイズ、価格といった全体のバランスをとりつつ、テストや市場調査をしながら商品化していきます。そのために必要な能力は、プログラマーの能力とはまた異なります。米国であれば、技術者のほかにプロデュース能力に長けた人がベンチャーキャピタルからの投資を引き出してきて、荒削りなアイデアをうまく磨いて商品として成り立たせます。日本では、そういった能力を培うための教育を受ける機会が少ないですし、そういう立場の人間がなかなか評価されにくいという面もあります。
チームのモチベーションを高めるというのもそうです。ビル・ゲイツ、スティーブ・ジョブズ、西和彦といった人たちは、それがとてもうまかったですね。とても厳しいこともいうけれど、人の心を動かして、作ったものを成功させるために、何か欠けているものがあればそれを補完するという能力です。
通り道は何でもいい放送・通信融合の理想
――総務省の「通信・放送の在り方に関する懇談会」の委員になられましたが、放送・通信の融合とはどういうものだとイメージしていますか。
●最初にいいたいのは、パソコンで見るか専用のボックスで見るかは問題ではないということです。重要なのはコンテンツであり、何の機械で映っているかは視聴者は気にしません。放送・通信の議論で、よく同一の時間に映らないからトラブルが起きるという意見もありますが、今でもBS 放送などで衛星を経由してくるものには遅延があります。どこを通ってくるかはまったく関係ないんです。
私がイメージしている融合は2 つあります。まず、圧縮技術が進歩してきたおかげで、1 時間分の放送を10 分で送ることができます。そこで、1 時間の音楽番組なら3 時間分くらいの曲を送ります。そして視聴者側は、好きな曲だけ聴いて興味のない曲はスキップします。これをボタン1 つでできるようにすると、テレビはその人の好みを学習していき、そのうち自分の好きなものしかかからないテレビ番組ができます。
さらに、10 分間で送信できるなら、1時間番組なら1 時間に6 回送出できます。すると、ドキュメンタリー番組の最初の10分を見て、これから出かけるという時に、録画データの入ったハードディスクを外して持っていくと続きが見られます。リアルタイムで受信しているわけではなくて、最初の10 分間を見ている間にデータを全部受信してしまっているから可能なんです。家に帰ってテレビのチャンネルを回した瞬間に「あ、録画するの忘れてた」というときも、最後の5 分でも10 分でもいいからつかまえられたら、番組を全部見られます。早送りをしても実時間より先に進まないという仕組みさえあれば、再放送やオンデマンドも必要なくなります。IP ネットワークの中でリアルタイムに放送が中継できるということだけではなくて、ビジネスモデル、サービス提供の仕方、課金の仕方、著作権管理の仕方を少し変えるだけで、テレビ視聴の仕方やビジネスパラダイムががらりと変わります。
――著作権法の見直し案についてはいかがですか。
●NHK が過去の映像140 万タイトルを蓄積するデータベースを作ったのですが、その中で公開しているのは5000 本しかないそうです。というのも、大昔の役者さんまで1 人ずつ許可をもらわないと放送できないとか、旬なタレントを売りたいから過去のものは出したくないというタレント事務所があるからだそうです。これは、今まではきちんとできていなかった放送の著作権管理処理を整備しようとする動きの1 つで、バルクで一括処理したときに放送の後で当然インターネットでも流すつもりでいましたという状態に近づけるための一歩です。ただ、先はまだ遠いとは思います。あと心配なのは、特定の団体がまとめて権利処理をしましょうといって、そこに富が集中してしまうことです。これから先のタレントの売り上げやコンテンツの売り上げに関して、どういうバランス感覚で誰がアドバンテージを持つのかなど、何かクリーンな方法が見つかればいいなと思っています。
同レベルのものが奉仕し合うのがネットワークの本質
――結局、パソコンは人々に何を提供したのでしょうか。
●たとえばドローイングでは、烏口やロットリングの時代には手の技が必要でした。これがパソコンでなら、1ミリの間に線を10 本引けといったら誰でもできます。昔は訓練をつまないと到達できない技能がありましたが、今はそれを飛び越えていきなり中身に集中できます。どんなに字の下手な人でも、少なくとも人に読ませられる文字を綴れるようになることで、文章の推敲にもっと時間をかけられます。漢字を覚える時間とか、清書のために遠くまで行くという距離、格納するスペース、自分が処理できる量といった問題をパソコンは解決してくれます。
しかし、本来はそういうことなんですが、現実にはライフスタイル中心というよりは機能中心で語られてしまっている感があります。写真に関しても、何百万色使えるようになったとか画素数が何メガピクセルになったという話になって、結局いい写真を撮るのは銀塩カメラに勝てないなと思う部分があったりします。パソコン本体も、相変わらずディスク容量やCPU のクロック数や機能がどうだということばかりが強調されています。
パソコンは高度なものになりましたし、ストレージも安くなりました。メモリーは128KB でCPU のクロックは4MHz とか6MHz、5MB のハードディスクと1.2MBのフロッピーディスクという時代から考えると、今のパソコンの性能はとんでもないですよ。その性能をどのくらい有効に使えているのか、本当に心地よく動くようになっているのかということを考えてみると、何か間違ったところに使い過ぎている気もします。
ただ、その中でもいいことも起きています。私は、コンピュータが中心にあって周辺機器がたくさんぶら下がっているという関係が大嫌いなんです。主従の関係ではなく、同じ目の高さのものがぶら下がってお互い助け合っていい環境を作るということが、ユビキタスなんて言葉が出る前からネットワークの本質です。たとえば、デジタルカメラになって初めて、カメラとプリンタとパソコンのどれが一番偉いかではなく、瞬間ごとにそれぞれが中心になるという形でお互いに奉仕する関係になりました。
――パソコンとテレビのどちらが偉いかという話はどうでもいいということですね。
●むしろ、写真を中心に考えて、それを編集する道具としてパソコンはどれがいいかと考えたり、あるいはこのプリンタがあって初めてカメラをデジタルのものに切り替えてもいいかなと考える人がいるかもしれないですよね。限られたデジタル化ではなく、最先端の技術がそれぞれ活用されて個別の役どころを演じながら、1 つの環境を形成していく。こういう関係が、この先ビデオ編集や音楽を作る行為に拡大していって、バランスよく関係し合えればいいと考えています。テレビとパソコンの関係も実はそういうものであって、テレビの代わりにパソコンで見るんですかという議論をすること自体が無意味だと思っています。
――今後は、どのような活動をされていく予定ですか。
●1 番目は、趣味に生きることですね。それを外すと、なぜ引退したのかということになってしまいますから。鉄道関係と写真はすべてに優先させます。
2 番目は、せっかく政府関係の懇談会に呼んでいただけたので、この業界はこうなってほしいということを発言していきます。これまでもいろいろな委員をやってきましたが、以前は何を話してもマイクロソフトの利益につながるようにしゃべっていると思われて、非常に悔しい思いをしました。同時に、後の企業活動に影響があるようなことはいえないという遠慮もありましたが、今は自由に発言できます。
3番目は教育です。すでに青山学院大学大学院の評議委員をやっていて、ほかの大学からも助教授や客員教授にという話をいただいていますが、そこはもっとマクロ的に活動していくつもりです。私が大学に行かずに途中でドロップアウトしたのは、自分の知的興味を満たすことをやっている大学が無かったからです。大学のスタイルを全部変えるのはまだちょっと時間がかかるかもしれませんが、人生の貴重な4 年間を費やすに値する場や、もう一度勉強したいと思っている社会人向けの場があればいいなと思っています。また、今年は麻布中学・高校で土日の課外授業を行う予定です。リレー授業といって、特定のテーマでいろんな人を連れてきて、生徒たちに特別講座をするものです。インターネットで中継してみたら面白いんじゃないかと、学生たちをそそのかしているところです。
――ありがとうございました。
古川享(Furukawa Susumu)
1954 年東京都出身。1978 年、和光大学人間関係学科中退。1979 年、株式会社アスキー入社。出版およびソフトウェアの開発事業に携る。1986 年、株式会社アスキー退社と同時に米マイクロソフトの日本法人、マイクロソフト株式会社設立、初代代表取締役社長に就任。1991 年、同社代表取締役会長兼米国マイクロソフト社極東開発本部長に就任。
1993 年、同社代表取締役会長兼米国マイクロソフト社極東地域先端技術担当シニアディレクターに就任。マルチメディア関連など先端技術の開発を手掛ける。2004 年2 月、最高技術責任者を兼務し、2005 年6 月10 日にマイクロソフトを退社。現在、総務省主催の「通信・放送の在り方に関する懇談会」にて委員を務めるほか、ブロガーとしても精力的に活動中。