インターネットマガジン バックナンバー

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※この記事は『インターネットマガジン1995年6月号』に掲載されたものです。

 

去る3月24日、日本ソフトウェア科学会主催の緊急チャリティーシンポジウム「兵庫県南部地震の時インターネットで私たちはどう行動したか」が、東京工業大学百年記念会館で開催された。
今回のシンポジウムでの報告者は、前号でもご紹介した神戸市外国語大学の芝勝徳氏、奈良先端科学技術大学院大学の羽田久一氏、筑波大学のスティーブン・ターンブル氏のほか、NTT基礎研究所の鷲坂光一氏、朝日放送の香取啓志氏の5名。それぞれ、生々しい体験談を交え「地震当日の行動」について報告をした。また、その後で行われたパネルディスカッションでは、一井信吾氏、酒井清隆氏(東京大学)、川村哲也氏(兵庫科学技術学園)、尾上守夫氏(リコー技術最高顧問)が加わり、大阪大学助教授の下條真司氏がコーディネーターを務めた。
ここでは、このシンポジウムで指摘されたインターネットの課題を検証するとともに、各方面から示された提言を整理して報告する。

検証1:インターネットは災害に強かったのか?

阪神大震災ではインターネット専用線は電話回線に比べ、それほど被害を受けず、復旧も早かったため、テレビ・新聞などのマスメディアでは「災害に強いインターネット」という報道がなされたこともあった。しかし、実際にインターネットで情報を発信できたところは、いくつかの幸運が重なっただけのようだ。施設、回線、そして何よりもスタッフ自身が致命的な被災を免れたことが、インターネットを運用することができた大きな理由であった。
「各サーバーがラックからひとつも落下せず、冬期のため空調がなくても窓を開ければ室温を下げることができたのが幸いしました。被害の大きい地域を通過していたにもかかわらず、神戸市外国語大学と神戸大学間の光ファイバーが損傷しなかったのも、運がよかったのだと思います」(芝氏)
「障害に強いということは、経路とシステムに冗長性があるということですが、現実にはそれがなかったのです。インターネットに接続されているすべての国際回線が東京に集中している現在、東京に大震災が起こったら日本のインターネットは世界から孤立していたでしょう」(一井氏)
電話で顕著に見られた輻輳だが、インターネットの場合は、被災地よりもむしろ、地震関連情報を発信したサーバーへのアクセスに輻輳が見られたと報告されている。死亡者名簿をいち早く掲載したこともあり、「NTTで地震情報を公開した直後にバースト的なアクセスが生じ、WIDEとの64K回線で輻輳が生じ、サーバーが頻繁にダウンするようになりました」(鷲坂氏)という。
そこで、NTT研究者グループでは、データ転送量を減らすためにホームページから画像を削除し、ミラーサイトを設けて対処しようとした。さらに、地震関連情報のアクセス要求を、そのホスト名をもとにネットワークトポロジー的に最も近いミラーサイトへ自動的にリダイレクトするようにhttpdを改良した。つまり、ac(教育関係)ドメインは東京大学、go(行政関係)は理化学研究所、その他はIIJへと分散されたのである。海外からのアクセスはNTT AMERICAへとリダイレクトされた。このような工夫の結果、アクセスの分散化が効率的に行われるようになった。
現状では必ずしも災害に強いとはいえないインターネットだが、シンポジウム参加者からは、通信網を確保するための数多くの提言が行われた。

災害に強いインターネットのための提言

  • 無停電電源装置、自家発電装置を準備する
  • ネットワーク機器の転倒防止対策を施す
  • バックボーンネットワークの経路を多重化する
  • 異なるプロバイダーから回線を調達する
  • 他サイトへの緊急避難的な接続を確保するための方法を検討する(ISDNなど)
  • 異なるプロバイダーにつながっているサイト同士の連携を日頃からとっておく
  • 国際的なインターネットの接続ポイントを東京以外の地域にも用意する
  • 効率的なミラーリングの訓練をする
  • 衛星通信、無線通信の利用を検討する

図:パソコン通信(ニフティサーブ:左)とインターネットのニュースグループ(右)で同じ情報を共有

検証2:インターネット上の情報は役に立ったのか?

今回ほど多くの電子情報が短期間にネットワーク上を飛び交ったことはなかった。「情報ボランティア」という新しい言葉がマスメディアでも広く使われることになったのも、電子情報が役に立つことが期待されている表れだといえる。では、その情報は被災地のために役に立ったのだろうか。
「可能性と方向性を示したとはいえますが、インターネットのおかげで何人の人命が救われたかと聞かれると、実質的には役に立たなかったといわざるを得ません……また、外国から支援の申し出があっても受け入れ体制がなく、処理しきれませんでした。インターネットは関東大震災のときの電話のようなものだったのかもしれません」(芝氏)
芦屋市で被災した下條氏は、ニュースグループの情報について「どちらかといえば被災地から離れた人の投稿が多く、中の情報が少ない」と指摘した。
インターネットが積極的な役割を果たしたとはいえないが、情報流通を側面から支援したことを評価する意見もある。
「1次情報の発信よりも、あふれるフロー情報を整理して閲覧できる掲示板としての役割は果たせたのではないでしょうか。被災地内部での情報流通では役に立ったとはいえませんが、外部向けにはある程度の役割は果たせたと思います」また、このような非常時に人命救助の目的以外に電話をかけることは、その活動を妨げる「暴力」であるとする観点から考えると、「インターネット上に安否情報があったために、安否確認のための問い合わせ電話を減らせたかもしれないことの意味は大きいでしょう」(羽田氏)
インターネットが安否の確認や被災者に必要な情報の伝達にどれだけ有効だったのかは、まだはっきりとは確認されていない。すなわち、利用するためにはある程度の専門知識が必要で、電話ほど一般に普及していない状況では、インターネットは緊急情報網としての可能性を示したものの、限定された役割しか果たせなかったということである。

インターネットをもっと役立てるための提言

  • 自然発生的でない地域ネットワークを見直す
  • 行政が情報収集や意思決定をするためのグループウェアの開発と利用
  • 放送メディアとインターネットの補完関係を模索する
  • 災害時に避難所になる可能性の大きい学校をネットワークで接続する
  • 学校現場にコンピュータを通信機器として持ち込み、インターネット、パソコン通信教育を学校で行う

インターネットを災害時に役立てようとするひとつの試みに、三菱総合研究所が始めたインターネットを利用した安否情報サービスの実験がある。この実験では、仕事場と家庭(近くのコンビニエンスストアの端末を利用)の双方から、お互いの安否を確認できるシステムを構築することをめざすという。

検証3:震災情報の流通に問題はなかったか?

警察が定期的に発表していた安否情報は、明らかにワープロで清書されたと思われるものをファクシミリで流していた。情報ボランティアたちは、それを再びデジタル化するために膨大な労力を費やさねばならなかったという。また、死亡者リストに著作権があるかどうか不確かだったために、デジタルデータを入手する方法がありながら、別に手作業でリストを作成していたボランティアもいた。
救援活動が一段落すると、今度は情報の洪水が見られるようになった。さまざまな団体やボランティアがそれぞれに情報交換の場を別々のパソコン通信に設けたり、同じパソコン通信の中で同じような会議室が別々に作られることもあった。
集まってくる情報の整理という点では、インターネットにも問題が見られた。
「NetNewsのfj.misc.earthquakeにさまざまな情報が集中しました。もっと細分化して、見通しをよくする必要があります。パソコン通信との情報の重複も見られました。それから、英語による情報の需要にもっと対応すべきでしょう」(酒井氏)

インターネット上の情報流通をスムーズにするための提言

  • 情報の電子化、緊急時の情報公開を行政に働きかける
  • 大規模災害に備えたニュースグループを常設する
  • データの著作権を明確にしておく
  • 情報を端末で整理し検索できる人材を育成し、被災地へ派遣できるようにする
  • 情報を整理しやすくするために記録フォーマットを統一する
  • 119番サーバーを設け、防災の日などに緊急連絡の訓練をする

こうした課題への具体的な取り組みとして、ばらばらだった救援活動の情報を共有・蓄積し、効率的な支援活動に役立てようという動きが出てきた。
InterVnet(インターVネット、代表・平田哲関西NGO協議会議長)は、被災地の支援拠点とボランティア、非政府組織、非営利団体、企業、行政、マスコミも結んで、情報と人のネットワークを作ろうというひとつの試みである。InterVnetでは、IIJの提供するNetNewsであるtnnにtnn.intervで始まるニュースグループを新設するとともに、ニフティサーブ、PC-VAN、PEOPLE、ASAHI-ネットなどの商用BBSと全国の草の根BBS局の協力を得て、どのネットワークから入力した情報も他のネットワークで参照できる仕組みを作り上げた。(上図)また、専用WWWサーバーも開設の予定だという。

検証4:被災地の復興にインターネットはどうかかわるのか?

震災から3か月あまり経過したが、神戸市の復興にはこれから2~3年かかるといわれている。復興の支援に、インターネットはどのような役割を果たせるのだろう。
まず神戸市では、神戸市復興のための提言を、国内ではパソコン通信やファクシミリなどで募集したのに加え、インターネットを通じて海外からも募集した。(下図)また、国際コンベンション都市、神戸ならではの試みとして、インターネットを活用し、神戸市への国際会議の誘致を始める予定だという。
ヤノ電器(コンピュータ機器製造)、KandaNewsNetwork(映像出版)、ディザイン(CG)など神戸のベンチャー企業のが集まって始めた「インター・ビジネス・ネットワーク(IBN)」もインターネットを復興のために利用するユニークな試みである。これは被災地の中小企業の事業内容を、インターネットを通じて全世界に紹介し、世界にビジネスを広げる機会を提供しようとするもの。
震災情報の提供から復興のための情報提供へと、神戸のインターネットはその役割を徐々に変えつつあるようだ。


神戸市がWWWで世界から復興のアイデアを募集

まとめ

マスコミで昨年から何かと話題にされてきたインターネットだが、今回の震災で初めて一般の人々にも具体的な形でインターネットというものが見えてきたのではないだろうか。阪神大震災は、現代社会がもはや行政だけでは維持、運営していくことができないことを示すとともに、電子ネットワークで自然発生的にできた人間のネットワークが、予想をはるかに超えて機能することも示した。特に、ボランティアをとりまとめる作業は行政だけでは処理しきれない。被災者個々の状況に応じてきめ細かい情報を伝え合うことは、マスコミではなく、こうした個々のボランティアの活力を活かして初めて可能になるのだろう。復興に向けたインターネットの利用も始まっている。
すなわち、阪神大震災ではインターネットも情報ボランティアも、社会資本として維持し育てていくことの重要性をわれわれに再認識させたといえよう。
「インターネットはおもちゃではない」(羽田氏)のだから。

最後に、神戸で被災され、ネットワークを通じて数々の提言を発信されている神田敏晶氏のメッセージを以下に掲載します。

「電子ネットワークで、今行動を」

いまだに全国から集まった義援金1350億3745万4872円のうち(3月27日段階)一時金として392億円が分配されただけです。また、残りの約1000億円近い金額は委員会でいろいろと検討されている模様です。高速道路や集合住宅の建築などのハードウェアにも投下されるのでしょうが、土建屋さんのクラブの飲み代に化けるのだけはご勘弁ください。今回の義援金はお見舞い金の気持ちなので被災者の手元に早急に届けるべきでしょう。
家族を失ったり、全焼、でようやく20万円、半壊で10万円がやっとです。こんなことで何ができるのでしょうか? むしろそれよりも神戸で仕事ができる環境を一日も早く実現したいと思います。どこにいても、誰もが、ネットワークで仕事ができるような環境が電子ネットワークでは実現できています。現に私は電子ネットワークだけで仕事をしています。
このような電子ネットワークのつながりの中で「Digital Volunteer」という概念を提唱したいと思います。東京のサリン事件や世界中でのさまざまな問題。都市はサバイバルを強いられてきています。それでも、電子ネットワークのボランティアが世界中にいれば、誰かに何かを頼めば、どこからか必要な情報がメールで届く、また誰かが動いて助けてくれるというようなシステムが電子ネットワークでは可能ではないでしょうか? つまり、「ネットワーク自治会」です。
マスメディアや行政、学校、会社、家庭。今回の震災でいろんなつながりが分断されました。しかし、ネットワークで知り合う「縁」がそれらを補う可能性を大いに秘めています。
どこかのボランティアグループが誰かにメールを出せば、そこからしかるべき人にリプライされ、その人から最初の人にメールが届くという構図が考えられます。今回の「サリン事件」でも思いましたが、危機管理システムをいろいろと検討するよりも、できるところからやりはじめて、まずければやり直すという姿勢が日本には欠けているようです。
神戸の被災地の真っ只中でも電子ネットワークがあればいろんなことができます。また、いろんな人からも助けていただけました。みんなが今以上にもっとネットワークに詳しくなれば「情報弱者」にも情報を提供する付加サービスが生まれることでしょう。
とにかく20世紀のインフラでできることからはじめてみませんか? この気持を持ち続けることがDigital Volunteerなのです。

Kanda News Network 神田敏晶